農業インターシップ15期参加者の感想です。

第15期おむすビーズインターンシップ 研修報告
20代女性 Aさん



私は、自然が豊かな田舎で、野菜や果物を自給自足しながら生活するのが夢なので、今回の研修は、田舎暮らしを考えるための下見と思い、参加した。野菜の育て方を知ることや、農家さんの暮らし方を見ることは、自分の将来の生き方を考えていく上で、参考にできることも多いだろうと思い、参加を希望した。
それと、自分のやりたいことができる、合っている土地を探しておこうと考えていたので、高知県がどのような気候の場所なのか、どのような人たちが暮らしているのか、一度見ておきたかった。

農作業の体験をすることしか考えていなかったが、参加してみて一番印象的だったのは、人との出会いだった。当たり前のことだが、本当に色々な人がいて、1人1人、人は皆違うのだということを強く実感する2週間だった。普段、東京などの街中ですれ違う多くの人々を見ている時は感じなかったが、土佐へ来て、研修生や研修先の農家さん、おむすビーズのスタッフの方々と話していると「こんなにも個性のある人が、こんなにたくさんいるなんて」と驚いた。私のイメージする「ふつうの人」が1人もいなくて、なんだかすごい所に来てしまったと感じた。
まず、研修生の年齢が20代から50代と幅広かったため、経験談を聞かせてもらえたり、料理や社会のことなど色々なことを教えてもらうことができた。経歴もそれぞれ個性的で、今までどんな仕事をしてきたのか、外国に行ってきた人にはどんな体験をしてきたのかを聞くのが面白かった。人と話をするのがこんなにも楽しいことだと感じたことは今までなかった気がする。夕食後、相手のことをもっと知りたい、もっと話を聞きたいと思いながら話していると、あっという間に時間が過ぎ「もう寝ないと翌日の作業に支障が出る」という日が続いたりもした。
共同生活をしていく中で、相手との距離感の取り方を意識した。誰かと一緒にいるのが好きな人、一人の時間を大切にする人、という違いもあった。
大学生のこの時期に、ユニークな経歴や個性を持つ人たちと出会い、話ができたことは、私にとって大きな財産になったと思う。非常に有意義な夏休みを過ごせたと満足している。

今回、主に4つの研修先で体験をさせていただいた。
研修の最初の方は、2つの花農家さんで研修をした。花は、1年に1回しか収穫できない野菜とは違い、複数回収穫できるので、野菜とはまた違う計画を立てて育てているということを知る事ができた。
和田農園さんでは、3泊4日で、草引き、定植、収穫とその後の畑の片付け、袋詰めまでの作業を体験させていただいた。さらに、ご主人には、鍬や「サラエ」という農機具の使い方を教えてもらったり、夜は農業の番組を見せてもらったり、農業や政治、人生について、多くのことを語ってもらったりと実に多くのことを教えていただいた。
「笹の家」では、渡貫さん一家の環境に優しい工夫がちりばめられた暮らしを見て、「私が将来したい暮らし方はこれだ」と思った。裏山や川、畑などの身の回りの自然から恵みをもらい、自分たちもその自然に何かを返していこうという考え方が、個人的にとても好きだと感じた。
農作業家を体験できたことも良い経験になったが、それぞれの家での暮らしの様子を見られたことも非常に良かった。
農家さんは、夫婦で同じ目標を持って協力して仕事ができるところが良いなと感じた。私の両親は、今回研修で訪れた農家さんと「共働き」という点では同じだが、夫婦別の現場で働いている点、平日の昼間は家にいない点などが違った。農家さんのように、両親が家にいる働き方だと、子供は寂しくなくて良いなと思った。

私は現在、大学で「臨床心理学」という人の心の健康を回復し、維持するための方法を考える学問を学んでいる。研修に参加する前は大学で学んでいることと農業は全く別の分野で何のつながりもないと考えていた。
しかし、農作業を体験してみて、農業は疲れた心を元気にすることに活かせるのではないかと考えるようになった。適度に体を動かすことが、体と心の両方の健康に良いことはもちろんだが、農作業は、自分が働いた分だけの成果が目に見える形で帰ってくる。草を取った後のさっぱりした畑を見た時、袋詰めしてコンテナに入れた野菜を見た時、「自分はこれだけがんばった」と自分で自分を褒められる気持ちになった。このような達成感を得る仕事や、田舎の美しい山や川の景色を見ること、土や草に触れることは、人の心を落ち着ける効果があると思う。
今回の研修で学んだことを、大学での学びや将来の自分の就く仕事につなげて、考えていきたい。

第15期おむすビーズインターンシップ 研修報告
20代男性 Bさん



先般、平成28年9月1日から今日に至る、およそ3週間において、自分は高知県は土佐町に滞在し、農業体験をメインに据えたインターンシップに参加していたのだが、このことについて自らの思いの丈を、自由関連に、take it easyな姿勢で書きしたためよ、とこう来るのである。
というと、なあんだ、そんなもの楽勝じゃないか。昭和、大正、明治といった近過去の話ではなく、この国には今から1,000年以上も前の平安時代において、国司、これは今でいうところの県知事のようなポジションであるが、その任務を終えて派遣先の土佐から京へと帰るその道中について「土佐日記」と題して書き表した人が既にいたぐらいだ。なぜ現代、この2016年に生くる成年男子たるお前が、たかが2000字程度の感想文で音を上げなきゃならんのか。
と、こう言うことを僕に言う人がいるかもしれないが、結構それは難しいことじゃないかと思っている。先ほどの話で例に挙がった紀貫之を例に使うと、この人は地方政治を司るような、めちゃくちゃ公的なポジションについていた人である。だからこそ「女性が書いた日記」というフィクションを1枚中敷きとして挟まないと、愛する娘が死んでしまった悲しみであるとか、土地の人の言葉に翻弄されて家がめちゃくちゃ荒れ果ててしまった話など、そういう割とプライベートな出来事や心の動きについてスムーズに話したり書いたりすることができなかった。
つまりどういうことかというと、感想をただ述べるだけ、というても、そこにある気持ちを文字にする段階でそこには多少の誤差が生じるし、またそれを一定程度の文字数にまとめ上げるには、ある程度の構成、「これがこうなってこうなりました」みたいな起承転結やストーリーといった軸となる要素が必要となるのだが、自分はもともとそんなロジカルな作業が得意な人間ではなく、こうして、研修期間中の出来事を思い出そうとすると、「田んぼの近くにはよくアマガエルがいた。手にのせてみると可愛かった」みたいな、幼い子どものようなとりとめもない感想が浮かんでくるばかりで、なかなか肝心のところ、つまりどうして僕はこの土佐町という町に来ることを選び、そしてどのようなことを思い、考えたのかという本質的な部分が言葉になって出てこない。
自分はなぜ、この町に来たのだろうか。
といって、ふと思い当たるのがあの東京での「新・農業人フェア」のことで、当時、自分は3年程、勤めていた出版にかかわる仕事、というと大袈裟だが、出版社からの下請けで雑誌を企画・制作する編集プロダクションの仕事がつらくなって辞め、さてこれからどうしようか、と思いあぐねていた。そもそも、割と自分は文章が得意なんじゃないか、みたいなことを考えて入った会社だった。ところがいざ仕事に就くと、自分には締め切りを守る、ということがどうしてもできなかった。発注元に無理を言って伸ばしてもらったスケジュールもその日の24時前に出せたならこれはまだ良い方で、それからも大幅に超過して迷惑をかけることが何回も、何回もずっと続いていた。罵倒や慰め、アドバイスの言葉を周囲にもらうたびに、とても申し訳ない気持ちになり、よし次こそは、と思うのだが、結局最後まで、当初のスケジュール通りの進行で仕事を完了させることがほとんどできなかった。過去のことのように話しているが今だってそうで、この感想文にしたって、締切当日のこんなギリギリ数時間前になってヒイヒイ言いながら書いている。馬鹿は死ななきゃ治らない、なんて言葉があるが、結局ずっと同じところをグルグルと周回しているような、それでいて自分が「生きやすい」土地や仕事がどこかにあるのでは、とありもしない期待を捨てきれず、しっちゃかめっちゃかにボールを投げているような、そういうことを何回も何回も、繰り返してもうすぐ28歳になろうとしている。
この農業インターンに参加したのは、正直に話すと、恋人と家族の勧めがあったからだ。本を読むことが好きだから編集の仕事を、といった具合に、これまで僕は割と自分がイメージできる範囲の、なんとなく見栄えが良いような仕事しか選んでこなかった。泥にまみれて汗を流す、農業なんて地道で地味でキツそうな仕事はやりたくないと思っていたし、自分の人生とは関係が無いものだと決めてかかっていた。父はそういうことを言う僕に対して、こう言った。「そんな風に思っている仕事だから、余計にトライしてみるのも良いんじゃないか。お前は自分の頭で決めつけていることが多すぎる。知らないものに色々とぶつかった結果、もう一回文章の仕事を選ぶのも良い。自分たちは、お前を、あくまで応援したいと思っているんだ」と。
あれは研修に参加して一週間ほど経った頃だったと思う。受け入れ先の一つ、和田農園での3泊4日の研修がひとまず終わり、最後のあいさつを交わしているときに、ご夫婦から「和田農園より贈る言葉」なる葉書サイズほどの紙片が研修生に配られた。そこには四編の小さい詩が記されていて、その中でも周囲の文字からそこだけ浮き上がって見えるようなフレーズがあった。
「土地のあるもの、田を耕せ。土地のないもの、心を耕せ」
「身体は野獣のように逞しく、心は詩人のように優しく」
思いもよらない方向からボールが飛んできたような、不意に涙がめちゃくちゃに溢れて止まらなくなった。でもそのとき考えていたことを言葉にしてしまうと、結構白々しいものになってガッカリしそうな気がする。
この事業に参加して自分は変わっただろうか。わからないです。土佐町に来たのも、「農業」というキーワードに飛びついたのも、結局自分が知らないことを試すという一種の方便で、それらがもしかして奇跡的に自分にマッチしているのでは、という変な期待感から、徐々に酔いが醒めていくような3週間だったようにも思います。
手を動かして参加して初めてわかる、というのはちょっと想像力を使わなすぎではないか、とも思うのですが、結局、どの場所にいてもその人はその人だし、それがもし嫌なら、自分を変えていくように頑張るか、そういう自分のままでも生きていけるように頑張るか、どちらにせよ選ばなきゃいけなくて、そういう選択を極力後回しにしてここまで来たのですが、「環境がひとりでに人を変えてくれる」なんてことは決して無いんだと改めて今思っています。
この研修に参加させて頂いて本当にありがとうございました。
考えが中々まとまらないのですが、こんな訳のわからない奴に自分の作物に手を入れることを許してくれた、この町で出会った人のやさしさを忘れずに生きていこうと思います。

第15期おむすビーズインターンシップ 研修報告
30代男性 Cさん



インターンシップ前の不安は計り知れないものであり、それをどう解消するかも一つの課題だと思っていたが、第15期のインターンシップメンバーと出会い一日生活することによりインターンシップ前の不安も一気に吹き飛びました。それにより、より良いインターンシップが始められたと思います。
とはいったものの、全体を通じて最初の3日~4日は正直気分がのらず最悪でした。自分は体力がなく、柔らかい土の上を歩くだけで疲れ果て、慣れない作業(球根植え、雑草抜き、芋掘りetc)をする度にゼェゼェと息をしながらダラダラと汗をかいていました。そしてその時はご飯があまり食べられず、寝て起きても疲れが取れずこれはキツイなー、和田さんがいうには農家になるのは難しいらしいので、帰りたいという気持ちでいっぱいでした。ですが和田農園さんでの生活が後半に差し掛かった頃、凄く気持ちよく起きられた事がありました。疲れが全く残ってなく、それはそれは清々しい朝を迎えることが出来ました。
最初はよくわかってなかったのですが、何となく体が軽いな、作業をしても疲れはあるが気分は良いと感じて、作業等に慣れたのか体力がついたのかは分かりませんが心も体も物凄く軽くなったと気付きました。それからの作業(収穫、袋詰め、雑草抜き、土の耕し講座、和田塾)が楽しく思えるようになり、農業は自分に合っているのではと考えるようになりました。その後の笹の家では竹の伐採や蔓の新しい除去法をためしたりしてみた。れいほく未来さんでは、収穫、袋詰め、手入れというのを何日もやり農業という生活を学ばせてもらえた。インターンシップの全工程を終えてもまだ楽しく感じている自分がいるのに驚きを感じつつ農業についてもう少し学んでいきたいと考えている。
インターンシップが終わった後は、せっかく農業というものを学び体験し、それが自分に合っているのではと感じているので、それに携わる事をしたいと考えています。一番はれいほく未来さんに研修生として入ること。岡部さんを筆頭にユニークな人が多く彼らと話をさせて頂くだけでとても勉強になると思いました。農業の話、農薬の話、農耕機械の話、経営の話と漫画かよって思った若き日の話とても面白く是非また聞きたいです。
ですが、青年就農給付金の話を聞いていると研修での助成金は貰えるまでに半年かかると聞きまして、今はお金がないのでもし研修生として受け入れてもらえたとしてもその後の生活がままならないので現実的でないと考えています。次に考えているのは地元に帰ってれいほく未来さんの様なところに研修生として入ること。地元にそのような所があるのかは調べてみないと分かりませんが、地元の隣町の能勢町は農業をしているところがあると聞くので調べる価値はあると考えています。

第15期おむすビーズインターンシップ 研修報告
40代女性 Dさん



この度は、研修に参加させていただき、ありがとうございました。
まず、第1日・2日目は花き農家さんを訪問し、せん定の仕方、温度管理等についてお話を伺いました。花き農家さんにおいて特に興味深いのは、2件とも経営・経済・所得の面をかなり追及されていることでした。お金を多く得るための努力をされていることがわかった。そのため花の種類も高く売れるもの、冠婚葬祭など年間を通じて需要の多いお花を選んで栽培されている。球根は冷凍しても、冬眠状態になるだけで生きており、花や植物は気温が上がると開花する。最も良い(高価の付く)状態で出荷する為に、温度管理や茎の太さ、花弁の付き方、成長具合を調整している。農家さんの「手を入れて出来るのがおもしろい」という言葉は印象的だった。努力・工夫されているのがよく伝わった。しかしながら、商業ベースになると花を見て美しいと思うより、「〇円」という見方になる。市場での評価基準は単に花の背丈で決まるそうだ。これは市場の都合であり、生産者や購入者の求めるものではないのでおかしいと思った。
次に和田農園さんで研修させていただいた。こちらでは、泊まりこみだったおかげで農家の暮らしが丸ごと体験できて本当に良かった。やはり24時間を共にすることで見聞き、学ぶことは多い。農作業を含めた暮らし全体の流れを実体験し、生き方を学び、「仕事は暮らし」であると思った。研修内容は多岐にわたり、作業内容を配慮していただき感謝している。また夜の講義や話も大変深く充実しており、和田さんの考えを聞き、話し合えたことは人生の実りとなった。鍬などの使い方や道具の手入れの仕方も実習した。作業は畑の整理、草引き、草取り、マルチ留め、収穫、出荷袋づめ、にんにく等の定植、薩摩芋のつるとげに加え、トマトジュース作り、天ぷら作り等々、生活の智慧も学ばせて頂いた。手料理も美味しく、大家族で味わう楽しさも体験する事ができた。土作りを大切にしている。
自給的な暮らしをしている笹の家さんでは、自然の恵みを生かし、環境を大切にした生き方をしている。森や川、海、大地を美しく、人体への影響も考慮し、人工合成化学の物を控えている。食べ物も化学添加物を控え、手作りしている。畑からとれた食べ物を口から食べ、お尻から出るものはまた畑に帰す。それを肥やしにまた野菜が育つ。ゴミも出ず、元の所へ収まり無駄がない。生まれてきたところへ帰る、つながる。自然、生き物、命の摂理である。自然本来の力を生かした畑を見学しなかったことが悔やまれる。
れいほく未来は、JAなので化学物質、有毒農薬を多用している。医学、薬学では明らかに毒なので、無知と思いこみは恐ろしいと思う。ハウスの中の野菜たちの病気の多さに驚いた。土中の窒素、リン、カリウムの存在は、化学物質を与える前の元々の土の成分をあるドイツ人化学者が調査したものであり、さらに窒素などを加えることで、過剰となっている。そのために健康を害した野菜は弱り、免疫力、抵抗力が落ちるため、病気になり易くなる。人間が風邪をひき易くなるのと同じだ。また、過剰な消毒・殺菌により、善玉菌もなくなり、かえって菌にやられる。殺虫剤で天敵は居なくなる。自然とは違う“循環”“負の連鎖”となっているように思う。野菜や人の健康にはナイチンゲールも言うように、換気、通気性を良くすることが重要だが、ハウスは換気が悪いので病気が蔓延しやすい環境となっている。それ故、種々の薬剤が必要になってくるのだと思う。また、病気は害虫のせいと言うが、健康な植物は本来、多少の虫にはやられない免疫力、生命力を持っているはずだ。なぜ虫に抵抗できない弱い体になったのか。根本原因を探ることが重要である。
日本の野菜はどうして一律に同じ姿形なのか?予めビニル袋詰めされており、なぜ購入者が好きな大きさや量、色合いを選べないのか。
1つだけほしい時もあるし、料理によって大きいのがほしかったり、小さいのが良かったりするが、選ぶことができない。諸外国のように、購入者が必要な分を選べ、量り売りにしてほしい。そうすることで、出荷の手間は省け、ビニールやパックゴミを削減し、小さいものやかわいい形の野菜も買う事ができる。しかしながら、いろいろな姿形の野菜に対する、購入者側の意識改革が必要である。
今回、様々な農業のやり方、考え方を見せて頂き、お話をうかがい、とても貴重な体験となりました。今後の生き方の参考にさせていただきます。研修に参加して本当によかったです。ありがとうございました。

第15期おむすビーズインターンシップ 研修報告
50台男性 Eさん



「地方で暮らしていくための術(すべ)として、生物のイラストを描いて生きていく」という道を選んだのは30数年前、23歳の時でした。上京後、イラストの技法を学び、営業を重ね、仕事を得るにつれて、東京を離れることが難しくなり、気がつけば50歳を超えていました。その間も取材等で地方を訪れる度に、「地方で暮らしていきたい」という思いは依然、強く感じていました。
昨年、特別養護老人ホームに入居している母へ対して感じている申し訳ない思いと、長年細かな作業と度重なる修正依頼から来るストレスによる心身の変調に耐え切れず東京を離れ兵庫県尼崎市に戻りました。しかし、工業地帯である尼崎市のアスファルトばかりの街並みと、終日耳に入ってくる大型車の騒音に、心はさらに沈み込むばかりで、耐えきれぬ気持ちが日毎に積み重なってきていました。
そういった思いから、いつしか農業フェア、IUターンフェアに目が向くようになっていました。そうした中、出会ったのが、おむすビーズの土佐町でのインターンシップでした。両者についてインターネットで調べていくと、「就農すること」が参加の必須条件ではなく、「移住」も幅広く受け入れていることを知り、参加を決めました。私の場合、年齢のこともありこれから農業を生業(なりわい)としていくには資金、体力面で不安があり、イラストという本業を活かして、地方で暮らしていく方が賢明と考え、「移住」という方法を選択肢として上げました。
そうして、不安をかかえたまま、大豊のバス停に降り立ったのは、まだ残暑厳しい9月の初めでした。それからの3週間で、(就農するか否か?わからない我々に対しても)丁寧に農業について教えてくださった農家の方々やJAの皆さん、パートの方々のお話、休日に歩いて感じた街の様子、そして実際の農業体験から、感じたことを述べたいと思います。
まず第一に、住人の方々との、お付き合いについてですが、以前からは何度も取材で高知を訪れた際に感じた人々の気質、垣根を作らず接してくれるおおらかさを土佐町の方々にも感じました。全ての人がそうであるとは言えないかもしれませんが、おしなべて、構えることなく会話することができました。また、生来、都会の街中より自然の中の方が落ち着く事ができる私にとって、山、川、田畑に恵まれた土佐町の町並は性に合っていると感じました。
そして、農作業を通じて農業の奥深さを感じたことで、農業に対する興味が増してきたことも収穫でした。ナスの「一芽切り返し」作業等、始めは難解に感じた作業も、質問を繰り返すことで、作業の原理が理解でき始めると、俄然、作業がおもしろく感じ、作業に没頭することができました。減農薬、天敵昆虫の利用、農機具の改良等、先人の知恵の集積の妙に興味を感じました。その結果「移住」後、農業に携わって参りたいと強く感じるようになったのは、大きな変化だと思います。また、棚田を目の当たりにして感じたことですが、文句なしに美しい。しかし、後継者がいないため、休耕している田んぼもあると聞きました。中山間の棚田の保持は経済的な効率だけで判断できるものでなく、棚田の持つ保水力が洪水調節という重要な役割を果たしていること。また、その景観が人に与える安堵感は、取り引きもできない価値があるということを感じました。
以上のことを鑑みますと移住という気持ちが高まってきていることは確かですが、前にも述べましたとおり、母のことを第一に考えて身の振り方を決めていかなければならないと思っていますので、移住を即決というわけにはならない現状です。しかし、今回、築かせていただいたご縁を時の経過と共に希薄になってしまうことは避けなければならず、何らかの方法で土佐町と繋がっていく方法を模索しています。(虫のいい話で恐縮ですが)1週間程度の農作業の手伝い(賃金が発生するなら幸いです(笑))ができないものかと農家の人たちやパートの人たちとの雑談の中で情報を得ようとしてきましたが、明暗には達していない現状です。何かしらのヒントがありましたら、ご示唆頂ければ幸いです。
また、晩夏の一時期だけの土佐町だけでなく、士気を通じて土佐町を知ることも必要だと思いますので、再度、訪れてみたいと考えています。
移住が可能になりましたら、イラストを生業としていくことには変わりありませんが、れいほく地方の自然をモチーフとした作品を制作し、発表、販売していく必要があると考えています。また、先に述べましたように、農業への興味が高まってきていますので、方法は全く見えていないのですが、(家庭菜園にするのか、農家の手伝いをするのか)農業にかかわっていきたいと思っています。よそ者が口を出す必要がないかもしれませんが、棚田の保全等の一翼を担うことができれば幸いと感じています。
今、黄色く色づき始め、雨に濡れている稲を眺めていますと、この地を去らなければならない寂寥(せきりょう)感に胸しめつけられる数日を過ごしています。もう一度、9月初頭に訪れた時のような青く輝く稲と空を見るためにも、戻って参りたいと感じています。最後に、今回、お世話になりました土佐町役場の皆様、農家やパートの皆様、送迎して下さった運転手の皆様、何気ない会話に付き合って下さった住人の皆様、そしておむすビーズのスタッフの皆様に御礼申し上げます。ありがとうございました。

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