2024年2月で丸7年になりました
「おむすビーズにようこそ!」
え!?いやいや、そんなグループに加入したつもりはないんですけど、と思ったあの日から丸7年。
そして現在8年目に突入しました【ながっち】です、こんにちは。
そもそも「おむすビーズ」とは、株式会社FPIの地方創生事業部の愛称なんだそうで。
かわいいでしょ、その方が耳に残るでしょ、と言われて、私自身は「う~ん」と思っていた・・・ことは今だから言える。私の後に入った女子は「かわいいじゃないですか!」って言っていたので、受け止め方に個人差があるのは理解しつつも、ちょっと気恥ずかしい。
今は何の感慨もなく、メールには“株式会社FPIおむすビーズの~”と書くのだが、普通にサイトから問合せされた方なんかは「おむすビーズ??(なんだそりゃ)」となっているだろうと送信ボタンを押した際にふと我に返ることもある。
大阪生まれ大阪育ちです
ながっちは大阪生まれ大阪育ち。
ではあるものの、田舎の祖父母宅で、田んぼや川遊び、五右衛門風呂、ぽっとん便所(今はなんて言うんだろう)、手作りの水あめや蒸しパン、今思えば何の苦労もなく田舎暮らしの良いとこどりみたいな日々を夏休みの期間過ごしていた。
そのためか小学校の先生には他の子供たちと少し違い「田舎の子供(それが具体的にどういう状態のことを指していたのかは不明)」のようだと評されたりしていたようである。
田舎の子というと、日焼けして虫取りカゴなんて持って外を遊ぶ姿などを思い浮かべるかと思うが、さほどアクティブに過ごした記憶はない。川の水に足を浸したり、縁側でスイカを食べたり、アマガエルを拾ってみたり、農作業している祖父母の周りをくっついて回ったり、たぶんそんなことしかしていない。
※余談だが、大人になってから祖父母宅でアマガエルを久しぶりに見つけ、昔を思い出し手に乗せてみたら後日赤くかぶれることとなった。時間は流れているのである。
さて祖父母宅には黒牛がいた。
(その頃は何をやっているかはわからなかったが)今思えば、その牛の排泄物を堆肥にして畑に使っていたようだった。そして畑で取れたジャガイモや自分の田んぼの稲わらなどを黒牛の餌にしていた。今でいう循環型農業だ。
私は牛がジャガイモを咀嚼するときの音がなぜか好きで、祖父が牛に餌をあげるときはその音が聞きたくてついて行ったものだ。ドラム缶を再利用したエサ入れがあって、そこに祖父が、短くカットした稲わらや小さめのジャガイモをゴロゴロと放り込み、トッピングのように乾燥した米ぬか(たぶん)を入れていく。そのぬかの臭いも好きだった。その時は普通の風景として認識していた、エサ入れの向こうの大きな牛の顔も。
黒牛は私が中学生くらいの時にはいなくなった。ちょうどその頃から慣行農法へ切り替えたのだと思う。
田舎ではひとりで静かに遊ぶ子供だったらしく、そしてそのまま育った結果、運動が「できた」ことも、ましてや運動部に所属したこともなく、運動神経はからっきしのまま、ながっち現在に至るのである。