隠岐の島の梅事情
梅雨前線が本州を北上し始めてから数日遅れて、ここ隠岐の島にも梅雨の時期が到来しました。
森には濃い霧が立ち込め、海が荒れて海に出られない漁師さんたちは家に籠るか、
あるいは仲間で集まって手持無沙汰な時をやり過ごしているようです。
私が暮らしている布施地区では、只今梅が真っ盛り。
各家庭(畑)に最低1本は梅の木が生えていて、中には誰のものなのかわからない野良梅もあったりして、
そこいら中に梅の実が転がっている梅パラダイスと化している。
住民に割り当てたら1000粒/1人くらいあるのではないだろうか。
そんなわけで私もせっせと庭の梅を砂糖やお酒で漬け込んでいたら、隣家の庭から何やら賑やかな声が聞こえてきた。気になって見に行くと、布施のお父さんお母さん的存在のSさん夫婦と近所の人たちがタッグを組んで激しく梅の木を揺すっていた。
逆さにした傘がいびつな形に変形するほど、中にどっさりと梅の実がたまっている。
どうやら熟した小梅を求めて隣家まで遠征してきたらしい。
念のため注釈を加えておくと、隠岐の島では(少なくともここ布施の人々は)、木々や植物に対して「共有財産」のような感覚を持っているように思う。
あまりにたくさんあるものだから、所有の感覚というのが薄まるのかもしれない。
この「みんなのもの」的感覚も、隠岐の自然の豊かさがもたらしてくれる住民特性のひとつかもしれないなぁ、なんて思ってみたり。
素晴らしいチームワークによって収穫された小梅は、S家のお母さんの手によって丁寧に調理され、おいしい梅煮になる。
この時期にどこかのお宅にお呼ばれしてご飯を頂くと、必ず梅煮がたっぷりと入ったタッパーが食卓の中央にどどんと置かれる。
甘みがあるので控えめに2,3粒食べてストップしたら、「一気に10~20は食べんと食べた気にならんじゃろ」と笑われてしまった。
お父さんの皿に目をやると、一瞬にして梅の種がてんこ盛りに(それにしてもすごいスピードだ)。
一見強面のお父さんが、奥さんの作った甘い梅煮を頬張る光景は微笑ましくて、なんだか心がほっこりする。
一説では、「梅が熟す頃に降る雨」だから「梅雨」と書くようになったらしい。
ここで暮らすようになって強く感じるのは、隠岐の島の「自然」と「季節」がぴったりと寄り添い合っているということ。
カレンダー上だけの暦ではなくて、熟した梅に雨が降るように、すべてが自然調和の中にあって、その中で人間が生かされていることを実感できる。窓の外を眺めながら幸せを満喫している今日この頃。
気になる方はぜひ一度隠岐の島に遊びに来てください。